秦氏一族の謎●秦氏一族の謎「隠された十字架の国日本」ケン・ジョセフ著 徳間書店。2000年初版。より 。 (こういう考え方もあるとお考えください。 反論は山田あてにはもらっても無理です。いわゆる日本ユダヤ同祖論は 明治41年佐伯博士の「太秦を論ず」から始まっています) ●1549年のザビエル来訪より前、1000年以上前にキリスト教は, 日本には、はいっていた。日本には古くから ある種のキリスト教の土台があるので、布教がしやすかったのではないか。 当時の日本人口1400万人のうち300万人程度のキリスタンがいて、1 00万人が殉教、100万人隠れキリスタンに。100万人は海外へ(49 ページ、244ページ) ●日本は多民族国家である。(93ページ) 日本人の先祖も、すべて中近東からた。中近東で離散した人類が 色色な経緯で日本へ移民してきた。それゆえ、血液型を調べると DNA調査や、JCウイルスを調べてみると、他のアジア系に見割れないEU型の遺 伝子が見受けられる。特に東北の日本海側にEU型が多い。 日本の神話は、旧約聖書を換骨奪胎しやものが多いのではないか。 雅楽、越天楽は、ペルシャから伝わった景教の音楽である。 ●日本には秦氏2万人くらいの集団が、1800年前にやってきた。 秦氏は、つまり、渡来人集団でアッシリア、ペルシャの近く。弓月(クンユ ニ)という中央アジアのキリスト教国(原始キリスト教)であった。 当時の日本は、今のアメリカのようなアジアの新天地であった。 仏教でないものが、仏教にされた。日本は仏教だけの日本ではない。 他民族であり、いろいろな宗教を様子売る日本があった。 古代キリスト教徒秦氏が、日本に集まり、キリスト教を日本に伝えた。 人々は、仏教の法華経の中に、景教に似たものを見出した。 ●秦氏は稲荷神社も創建、また八幡神もヤハダ神で、秦一族がつたえたもの 。多くの日本の神社創建に秦一族は関与しています。 ●坂越(さこし)は赤穂にあるが、秦氏が上陸した場所であり、古代にキリ スト教会を立てた場所である。(20ページ) 大酒(避)神社には、秦氏の族長である秦河勝(はたのかわかつー聖徳太子 の部下)は祭られている。 雅楽面も残っている。大酒(避)神社はイエスキリストを意味する。 ●京都の広隆寺は、実は仏教の寺の前は、古代キリスト教の教会である。 広隆寺近くにある「蚕の社」の3柱鳥居もキリスト教の三位一体を表す。( 24ページ) 秦氏の氏社の、大酒(避)神社は、ウズマサ明神を祭っているが、ウズマサ 明神は、イエスキリストを意味する。 ●ケン・ジョセフさんは、時代別に日本の文化を検証していきます。 遣唐使は、景況の影響を受けた中国文化を取り入れた。 ●日本の光明皇后(701-760)も景教の影響を受け、悲田院、施薬院、 療病院を作った。 奈良東大寺2月堂のお水取りの行法は、景況の儀式ではないか。 ●聖徳太子の伝説も、馬やどの王子、大工の神様など、聖書の影響を受けた 物語の取り込みがされているのではないか。 ●親鸞の読んだ「世尊布施論」も景況の聖典の影響ではないか。 空海も佐伯氏であり、秦一族であり、高野山の儀式の前に 十字架をきるしぐさがあるが、これも景教を取り入れたのではないか。 ●最澄は、旧約聖書。空海は、新約聖書を使った。弥勒とはキリストではな いか。以上のような理由のひとつは、仏教は、いろいろな教えを取り込み宗 教であり、クリスト教を仏教の一部として取り入れたのではないか。 ●茶道の蹲も、聖餐式の聖水を取り入れたのではないか。(265ページ) |